エジプトといえば、ギザの大ピラミッドとスフィンクス。でも、その他にも素晴らしい遺跡がエジプト全土に残っています。エジプト旅行に行く前に、遺跡の歴史を少し予習してみたので、シェアしようと思います。エジプトのどの都市で、どんな遺跡がみれるのかを簡単にまとめてみました。
1. エジプト観光マップ
「上エジプト」と「下エジプト」
不毛の砂漠地帯に位置するエジプトに、古代エジプト人が定住できるようになったのは、ナイル川の恵みがあったから。 昔からナイル川は、エジプトの人の生活の一部としてかかせないものでした。
ナイル川は、南が上流、北が下流なので、昔からエジプトの人は、
南エジプト=上エジプト (Upper Egypt)
北エジプト=下エジプト (Lower Egypt)
と呼んできました。ガイドブックなどに上エジプトと下エジプトの表記がある場合は間違えないように気を付けましょう。
2. エジプトの歴史
時代は大きく分けて4つ
- 古代エジプト時代:エジプトに国家ができ、「ファラオ」という王が国を治めていた時代。
- グレコ・ローマン時代:古代ギリシアやローマ帝国がエジプトを支配した時代。
- エジプトのイスラム化:ローマ帝国の衰退後、様々なイスラムの王朝がエジプトを支配した時代。
- 近代エジプト時代: ムハンマド・アリー総督の指揮下で、エジプトが独立と近代化に向かう時代 。それと同時に西欧諸国も政治に介入してきて、エジプトはイギリスの管理下に置かれることに。
① 古代エジプトの遺跡
(紀元前3,000年頃~紀元前30年)
エジプトには何万年も昔から人は住んでいたのですが(石器時代とかです)、「古代エジプト文明」の始まりは、紀元前3,000年頃。 「ナルメル王」という王がエジプトを統一して王朝を建てたのが始まりで、「ファラオ」と呼ばれる王が、代々エジプトを統治するようになります。ちなみにファラオは、神の化身、神々と人間の仲介人、として崇められていました。
王朝が交代するたびに、いろいろなところに首都が建てられましたが、北エジプトの「メンフィス」と南エジプトの「テーベ」の2つの都市が、大きな首都だったことが分かっています。
カイロ・ギザ・メンフィス
エジプト北部の「メンフィス」は古代エジプト時代初期の首都でした。メンフィスはカイロの 20km 南にあります。 紀元前2600年頃から、メンフィスを中心に、ピラミッドなどの巨大建造物の建造が盛んになりました。ギザなどで見られるピラミッドは、古代エジプト時代の中でも、ずいぶん古い時代の遺跡なんですね。
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テーベ(現在のルクソール)
紀元前1570年頃 ~紀元前1070年頃 を「エジプトの新王国時代」と呼び、エジプトは「テーベ」を首都として領地を広げ、大帝国となります。古代エジプトが最も栄えた時代で、ルクソールには、この時代に建てられた文化遺産がたくさん残っています。
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有名な遺跡は以下のようなものがあります。
- 古代エジプト唯一の女性のファラオが建設した 「ハトシェプスト女王葬祭殿」
- カルナック神殿
- 「王家の谷」にあるツタンカーメンの墓
アブ・シンベル大神殿
紀元前1200年頃のファラオ「ラムセス2世」が築いた「アブ・シンベル神殿」は素晴らしいです。アブ・シンベルは、スーダンの国境近くのヌビア地方という地域に建っています。
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② グレコ・ローマン時代の遺跡
(紀元前300年頃~650年頃)
アレクサンドリア
紀元前332年に、ギリシアのマケドニアの国王、アレクサンドロス大王がエジプトを征服。彼は「ファラオ」の称号を得て、エジプトの支配を始めると同時に、新都市「アレクサンドリア」の建設を命じました。 エジプト人のファラオの時代は終わり、ギリシア系のファラオが国を治めるようになります。
アレクサンドロス大王の死後は、彼の部下が「プトレマイオス朝」という王朝を建て、アレクサンドリアは地中海の文化の中心として全盛期を迎えます。プトレマイオス朝の最後のファラオが、クレオパトラです。クレオパトラはエジプト人じゃなくて、ギリシャ系だったんですね。
クレオパトラの時代には、地中海でローマ帝国の勢力が強くなり、エジプトに介入し始めます。クレオパトラはその美貌で、ローマ帝国の有力者である「カエサル」や「アントニウス」と愛人関係になり、王朝の存続を図りますが、うまくいかず、紀元前31年、プトレマイオス朝はローマ帝国に滅ぼされてしまいます。エジプトはローマ帝国の支配下に入り、クレオパトラは毒蛇に胸を噛ませて自害。これで古代エジプト時代は終了。ファラオもいなくなってしまいました。
エジプトが、ギリシア系のプトレマイオス朝と、ローマ帝国の支配下にあった時代をグレコ・ローマン時代といいます。
エジプト第2の都市「アレクサンドリア」では、グレコ・ローマン時代の出土品を集めた博物館などを見ることができます。
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ナイル中流の神殿
アレクサンドリア以外でも、エジプト各地で、グレコ・ローマン時代の影響を受けた遺跡を見ることができます。
特に、ルクソールからアスワンにかけてのナイル中流域では、プトレマイオス朝に建てられた神殿を多く見ることができます。神殿の建築様式や装飾が「ギリシア風+エジプト風」になっていておもしろいです。
アスワン近くのフィラエ神殿(イシス神殿)。島に浮かぶ美しい神殿。
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船に宿泊しながらナイル中流域の遺跡を巡る、ナイル川クルーズも大人気です。 下の「ホルス神殿」と「コム・オンボ神殿」もグレコ・ローマン時代の神殿で、ナイル川クルーズで連れて行ってもらいました。
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オールド・カイロ
ローマ帝国の影響で、西暦40年くらいに、エジプトにキリスト教が伝来。その後エジプト内で独自に発展し、「コプト教」と呼ばれるようになりました。カイロのオールド・カイロ(コプティック・カイロ)地区には、コプト教の古い教会がたくさん残っています。
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③イスラム時代~ ④近代の遺跡
ローマ帝国が衰退すると、西暦640年頃から、ウマイヤ朝、アッバース朝、ファーティマ朝 、アイユーブ朝、マムルーク朝 など、様々なイスラム系の王朝がエジプトを支配します。
現在のカイロは、西暦970年頃にファーティマ朝の新首都として作られました。
1516年に、エジプトはトルコのオスマン帝国の属州となって国力が落ち、 1789年のナポレオンのエジプト遠征で、カイロが一時的にフランスに占領されてしまいます。これをきっかけに、エジプトではオスマン帝国からの独立運動が強まり、ムハンマド・アリー総督の指揮下で、エジプトの近代化と富国強兵策が進みます。「ムハンマド・アリー朝」が成立し、以後150年ほどエジプトを統治。
1880年ごろから、エジプトはイギリスの管理下に置かれるようになりますが、1922年にムハンマド=アリー朝が「エジプト王国 」として独立。
さらに1952年のエジプト革命によって「エジプト・アラブ共和国」となり、約2,000年ぶりにエジプト人による政治が行われるようになりました。
カイロのイスラム地区
カイロには、近代的なビルが並ぶ「新市街」と、 ファーティマ朝時代に建設されたカイロの中心街にあたる「旧市街」があります。旧市街はイスラム地区とも呼ばれ、古いイスラム建築がたくさん残っていて、世界遺産に登録されています。 ハンマド・アリーが建設に着手した、 「ムハンマド・アリ・モスク」もあります。
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3. おわりに
5,000年以上もあるエジプトの歴史ですが、実際にエジプト人が国を治めていたのは、最初の3,000年くらいだったんですね。
アレクサンドロス大王がエジプトを占領して以からの2,000年間は、いろんな人種と文化が入り交じりながら、現在のエジプトがつくられていったことがわかりました。
歴史を少し予習してから行くと、遺跡巡りも格段に楽しくなります☆ 旅の参考になればと思います。
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