2019年秋の、イスラエル・ヨルダン旅行の記事を書いています。
今日紹介するのは、イスラエルのエルサレム。3宗教の聖地が集まることで知られていて、世界中からたくさんの人が訪れます。
エルサレム市の中でも、重要な遺跡が残っているのは、1キロメートル四方を城壁で囲まれた「旧市街(Old City)」周辺です。旧市街は世界遺産にも登録されています。
今回は、エルサレムの基本情報と、エルサレム旧市街の様子をシェアしてみようと思います。
1. イスラエルについて
■ 古代イスラエル
紀元前11世紀ごろ、この地域には「イスラエル王国」というユダヤ教国家がつくられました。王国は分裂によって次第に衰退し、さらに他国の侵略を受けるなどして滅亡。ユダヤ民族は世界各地へと散らばって行きました。
■ 中世のイスラム時代
イスラエル王国滅亡後、この辺りは「パレスチナ地方」と呼ばれるようになります。聖地や政権を巡って数々の戦いの舞台となりますが、最終的にイスラム系国家の支配下に入ります。西暦600年代から、オスマン帝国が滅びる1900年代前半までのほとんどは、イスラム系国家に統治されていました。
■ 近代~現代
ユダヤ民族が各地で迫害を受けていたこともあり、1800年代後半から、ヨーロッパを中心に「シオニズム」という運動が広がっていました。「世界に散らばったユダヤ人たちを故郷へ戻し、パレスチナの地にユダヤ教国家を再建しよう」とする運動です。
そしてパレスチナでは、1922年にオスマン帝国が降伏し、イギリスの委任統治が始まると、たくさんのユダヤ人が海外からパレスチナの地に移住し始めます。ユダヤ人の流入に伴い、パレスチナではユダヤ人とアラブ人の紛争が激化しました。
1947年に国際連合が介入し「パレスチナ分割案」を作成。「パレスチナを、ユダヤ人の国とアラブ人の国に二分割し、聖地エルサレムは国連の管理下に置く」という提案をし、国連の中では一応可決されました。
ユダヤ人側は分割案を受け入れて1948年に「イスラエル」を建国しましたが、アラブ側は不満とし、アラブ連盟軍がイスラエルに侵攻。約30年、4回にわたる中東戦争へと突入して行きました。
現在は、戦争は落ち着いているものの、イスラエル人とパレスチナ人の対立はまだ残っているようです。
2. エルサレムについて
■ 東エルサレムと西エルサレム
パレスチナ問題が原因で、エルサレム市も、アラブ人が住む「東エルサレム」と、ユダヤ人が住む「西エルサレム」に分かれています。
東エルサレムには、昔ながらの雰囲気が残っています。3宗教の聖地である旧市街は、一応東エルサレム側(アラブ側)に含まれます。
西エルサレムは、官公庁や商業施設の集まる新市街で、近代的な街並みです。
■ エルサレムは首都?
イスラエル政府は「イスラエルの首都はエルサレム」と主張していますが、国連は「エルサレムはユダヤ人だけのものではない」ということで首都と認めていません。ほとんどの国は「テル・アビブ」を首都とみなして、大使館などはテル・アビブに置いています。
2018年に、アメリカが大使館をテル・アビブからエルサレムに移したことで、世界で議論が巻き起こったのを覚えている方もいらっしゃるかもしれません。
3. エルサレムの旧市街
Old City of Jerusalem
観光のメインであるエルサレムの旧市街は、城壁によって囲まれた1キロメートル四方の地区。観光でエルサレム訪れる人は、主にこの旧市街を観光することになります。
城壁内には、ユダヤ・キリスト・イスラムの3宗教の聖地や遺跡が残っていて、世界遺産に登録されています。
旧市街は、下の地図でピンクで囲まれた地域です。
*地図上のピンにカーソルを当てると地名が表示されます。
*Googleマップで見たい方は ☛こちら
*ちなみに、近代的な「新市街(西エルサレム)」は、旧市街の西側に広がっています。ざっくりですが、上の地図の青いサークルで囲んである辺りになります。
■ 4つの地区
旧市街は、① キリスト教徒地区、②ムスリム地区、③ユダヤ教徒地区、④アルメニア人地区、の4つの地区に分けられています。
→ 4地区と門のマップ
アルメニア人もキリスト教なのですが、アルメニア正教の教義の違いなどから、キリスト教徒地区とは区別されています。
■ 城壁の8つの門
城壁の門をくぐって、旧市街の中に入ることができます。門は11つありますが、開いているものは8つ。
→ 門の説明(ウィキペディア)
もっとも美しく賑やかな門は、旧市街の北に位置する「ダマスカス門(Damascus Gate)」。
→ ダマスカス門地図
ダマスカス門の外には有料駐車場があったり、
大きな通りも走っています。
バスやライトレールなどの公共交通機関の乗り場も集まっていて、旧市街の交通の要所です。
ダマスカス門の通路は、たくさんの商人で賑わいます。
ダマスカス門から城壁の中に入ると、繁華街が広がります。
■ 城壁の中の人々と街並み
門をくぐって城壁内へ入ると、まるで中世にタイムスリップしたような街が広がっています。
宗教や民族によってさまざまな衣装を身にまとった人々がいます。宗教活動をする人々、商人、バックパックを背負う旅人、ツアー団体。もうごちゃまぜです。
街のいろんな場所から祈りが聞こえてくるんですが、キリスト教の教会を見学しているのに、外からイスラムのコーランが聞こえてきたりして、不思議な体験でした。
本格的な「シナゴーグ(ユダヤ教会)」を見るのは初めてでした。
街全体に細い路地が入り組んでいて、史跡や名所以外はほとんど商店街です。
一般車両は城壁の中には入れません。通路が狭すぎて無理なんだと思います。商人たちは、物資を運ぶのに、いろんな乗り物に乗っていました。
4. 旧市街観光のお役立ち情報
① 見学時間や休館日にはご注意を
宗教によって見学できる時間や休日が異なるので、見学する前に調べて行った方が良いです。
キリスト教関係は日曜が休日。ユダヤ教関係は金・土曜、イスラム関係は金曜日が休みになることが多いそうです。
② 旧市街は歩行者天国
城壁の中は、基本的に一般車両は入れません。
旧市街の城壁の中に宿を取った場合は、最寄りの門で降ろしてもらって、宿まで歩くことになります。
私たちが宿泊した宿は、「Hashimi Hotel」という城壁の中にある宿。
→ Hashimi Hotel 地図
車の乗り入れができないので、ダマスカス門からスーツケースを引きずって、5分ほど歩きました。
1キロメートル四方の小さい街なので、端から端まで歩いてもそんなに時間はかかりません。
道も舗装してあるし、階段の脇に車輪を転がせるスロープが付いているところも多いので、スーツケースを転がすのもそんなに大変ではありませんでした。でも荷物が多い場合はちょっと大変かも….。
例外的に車両が入れる場所もいくつかあって、例えば、ヤッフォ門(Jaffa Gate)周辺などは、門の中まで車やタクシーが入ってこれるみたいでした。
→ ヤッフォ門地図
ヤッフォ門そばの「New imperial hotel Jerusalem」は車が走る通り(Omar Ben el-Hatab Street)に面しているので、こういう場所に宿をとると、歩かずにすみます。
→ Imperial hotel 地図
ちなみに、インペリアルホテルの手前の建物はツーリスト・インフォメーションセンターです。
→ インフォメーションセンターの地図
③ 夜はひっそりしている
昼間は商人や観光客でごった返している旧市街ですが、夕方は結構早いうちからお店が閉まり始めました。夜はひっそりしていて、一人で歩くのはちょっと心細い感じです….👻👻👻
ヤッフォ門(Jaffa Gate)周辺は、夜も比較的賑やかでした。先ほど紹介したインペリアルホテルの辺りです。
→ ヤッフォ門地図
インペリアルホテルの前の通り「Omar Ben el-Hatab Street」は、夜になっても車やタクシーが走っていましたし、お店やレストランも、わりと遅くまで営業しているようでした。
④ 公衆トイレあり
城壁の中に公衆トイレがいくつかありましたので、トイレに困ることはありませんでした。比較的キレイでしたが、ティッシュやウェットティッシュは念のため持っておいた方がいいかもです。
⑤ 服装や持ち物
神聖な場所が多いので、露出の多い服は避けた方がいいです。観光客慣れしているので、スカーフやロングスカートなどを貸してくれているところもありますが、信者の方への配慮は大事だと思います。
嘆きの壁や神殿の丘などは、入場前に空港にあるようなセキュリティーチェック(荷物チェック)があります。ガイドブックに、パスポートの提示を求められることがあると書いてありました。
5. おわりに
今回は、エルサレム旧市街の基本情報について書いてみました。
何千年も昔から、人々が一心に祈りを捧げてきた場所、エルサレム….。信仰を巡って様々な戦いの舞台になりながら歴史を刻んできました。
この一キロ四方の城壁の中に、人々の複雑な思いが込められているのを改めて感じました。
次回の記事では、旧市街の素晴らしい遺跡や名所をシェアしてみようと思います。お楽しみに☆
■ ヨルダン・イスラエル旅行記
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■ エルサレム新市街
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【イスラエル】エルサレムの旧市街②: 見どころと名所のまとめ